きょーはにちよーび。。。きょーははれかなくもりかな。しんしなてぃのさいてーきおんは17度さいこーきおんは31度でした~。
きのーのBloggerぶろぐのひっと数133でした~
たいじゅー:?kg^^; (最大風速:?kg^^;)
きょーのとれーにんぐ:おやすみ^^
麻薬断ち^^;6月3日(火) 22:30PMに1包飲んだ(>_<)
せなかがいてえ。。。^^;きのーのぷーるですっかり背中が日に焼けたのでした。。。次回のぷーるのときには上を着るようにしよーと思います。。。
先日、けーたい番号を変更しました。現在のAT&Tは80ドルくらい払っているのですが、友人の家族契約^^に加入させてもらうことになり、半額の40ドルくらいになりそーです。^^それに伴って携帯番号の変更手続きをしなければならないので、きょー、いっしょーけんめーへんこー手続きしました。^^ほとんど終わったけど、あと2,3個残ってるので、残りは明日にでもやろうと思います。その後、「君たちはどう生きるか」を見ました。アカデミー賞受賞作ですが、最初日本での評価はさんざん^^;でした。一体どうなっとるんじゃ???と思い、見てみたかったのですが、ずっと先延ばしになっており、きょー、よーやく見ることができました。私の感想としては、おもろくね。^^;私は芸術どうのこうのよりも、私にとっておもしろいかどうかがじゅーよーです。^^アメリカで評価された理由がさっぱりわかりまへんな。ま、評価なんてひとそれぞれだと思います。村上春樹のノルウェイの森も、好き嫌いがあるようですが、私は非常に高く評価しており、さすがノーベル文学賞候補だと思える出来だったと思います。とにかく心理描写が異常に(?)すばらしい。全体のストーリーなんて覚えてませんが、この心理描写だけでノーベル賞に値すると思っています。
さて。。。トランスジェンダーで男性から女性になったアスリートがカリフォルニアの大会で優勝したというニュースをやってました。ちょっと前には、トランスジェンダーで男性から女性になったバレーボール選手が、試合に出場して、スパイクをもろに相手選手の頭にぶつけてけがをさせたというニュースをやっていました。はっきし言って、アメリカ人バカするぎるわ。アメリカ人の多くがバカだということを、ニュースで宣伝しているようなものだと思います。もし日本であれば、トランスジェンダーで男性から女性になったアスリートが、女性の大会に出場するなんてことは考えもしないでしょう。アメリカでは、おれがおれが^^;の文化で、自分さえよければなんでもあり、の文化なので、女性として優勝できるなら、女性の大会に出てしまおう、と考えるのだと思います。こころは女性と言っても、肉体は男性なのですから、公平であるはずがありません。また、自分は女性という宣言は、自分の意志だけで表明できるので、本当に女性だと思っているわけではなく、女性として優勝するために嘘をつく人もでてくるでしょう。はっきり言って、アメリカ終わっとるわ。トランプのバカは死ね!とは思いますが、彼が行ったことでいいことは、LGBTの選手を女子の大会から締め出したことでしょう。女になりたければ、かってに女になればいいと思いますが、男性としての有利な点を女性として使うのは、まったくバカのやること以外の何物でもないでしょう。アメリカの教育のレベルの低さが出ていると思いますね。トップを鍛えるだけで、平均以下の国民はほったらかし。これでよくこれまでうまく国としてなりたってきたと思いますわ、ほんま。
さて。。。「Grit」からいんよーいたします。
「「オリンピック選手の研究を始めたときは、驚きましたよ。毎朝4時に起きて水泳の練習に行くなんて、信じられない。よほど非凡な人間にしかそんなことはできないはずだと思ったんです。でもそうじゃなかった。周りの誰もが4時起きして練習に行くような環境にいたら、自分だって自然とそうなる。それが当たり前になるんです。習慣になるんですよ」
中略
私がおおいに興味を持っているのは、「文化的には長期的に私たちのアイデンティティを形成する力がある」という考え方だ。長期的に条件がそろえば、自分が所属する集団の規範や価値観は、やがて自分自身の流儀や価値観になる。」
習慣の力はすごいと思います。ですので、勉強する習慣をつけたり、運動する習慣をつければ、何も考えずにそれをやることができ、他の人に差をつけることができます。まあ、いい習慣を身につけることは簡単ではないわけですが。。。
「その後、コーチとして長年の実績を築いたドーランスは、こう語っている。
「才能はめずらしいものではない。偉大な選手になれるかどうかは、才能を伸ばすためにどうこまで努力できるかにかかっている」」
残念ながら、これには全く賛成できません。才能は、残念ながら、めずらしいものです。ただ、「ある程度の才能」であれば、いくらでもどこででも探し出すことができると思います。本当に偉大な才能を持った人は、ほんの一握りしかいません。それは、偉大な人よりももっともっと努力した、何千人という人が、結局は偉大な人になれなかったという事実がそのことを証明しています。残念ながら、努力で才能を凌駕することはできません。だからこそ、才能を見極めることがじゅーよーなのです。また、とびぬけてすごい才能をもった人はほんの一握りですが、すべての人にある程度の特異な才能があることは間違いないでしょう。ただ、ほとんどの人がその才能に気づかずに一生を終えているので、才能をうまく発見させてあげる教育が必要だと思いますね。
でわ。
うつぎたかし
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