きのーのぐーぶろぐのひっと数はIPは25閲覧数は67でした~。
きのーのBloggerぶろぐのひっと数が4でした~。
たいじゅー:67.0kg^^; (最大風速:65.8kg)
きょーのとれーにんぐ:
べんちぷれす:シャフト17kg、45LB(20.43kg)X2個、5LB(2.27kg)計62.4kgで3回x3セット
腹筋:35LB(11.35kg)で10回3セット
アームカール:20LB(9.08kg)X2個、5LB(2.27kg)X2個 計22.7kgで8回x3セット
またわりすとれっち:やった^^
麻薬断ち^^:10月8日(土)10:30PMに1包飲んだ(>_<)
きょーはよてーどーりぐーたら^^だったのですが、ごごからおふぃすに行ってちょっとおしごとしました。。。せっかくのさんれんきゅー^^なので、さいしゅーびをあにめざんまい^^ですごしたいので、いやなことは先にかたづけておかないとね。
きのー、「ほめると子どもはだめになる」について書きましたが、一点書き忘れました。日本では過保護&ほめて育てるのせーで若者が弱くなっているよーですが、これがあればまだだいじょーぶい。v(^^)それは、部活動です。特に、体育会系の。私は文科系の部活がどうやって活動しているかあまり知りませんが、文科系でも、「響け!ユーフォニアム^^」のよーに、体育会系と同じよーに、ばりばりの硬派な部活もあると思います。きょーしが弱くなり、親が弱くなっても、部活で鍛え上げられれば、それなりに強い若者になると思います。日本の体育会系の部活には、賛同できない部分も多々ありますが、それでも、確かに部活は生徒の社会性を身に着けさせるには絶好の場であると思います。響け!ユーフォニアム^^では、大会メンバーはオーディションで決めていたし、規律もあって、生徒の自主性も尊重されていました。滝先生は、最初に、全国を目指すのか、それとも仲良しクラブにするのか、生徒に決めさせてましたもんね。アメリカのクラブ活動がどうなっているのか私には分かりませんが、日本のクラブ活動が社会教育に役立っているのは間違いないでしょう。また、就職時に企業が体育会系を好む理由も分かります。もちろん、体育会系のせーとだけが社会性に優れているとは思いませんが、確率の問題っすね。あと、学生のアルバイトも非常にいいことだと思います。お金をもらっている以上、いい加減にやったのでは首になるだけです。バイトも非常にいい社会勉強の場だと思います。弱い若者が多くなったということですが、部活動やバイト等で鍛え上げられた生徒もいるわけで、これからは二極化が進むかもしれませんね。そうなれば、いくらアホ日本人でも、「ほめると子どもがだめになる」ことに気が付くでしょう。
さて。。。「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法(橘玲著)」からちょっちいんよーいたします。
「人格改造のさまざまなセミナーやプログラムが宣伝されている。でも、これらはたいてい役には立たない。なぜなら、「わたし」は変えられないから。」
これ、ほんま、同感^^っす。社会性を身に着けるのと、人格を改造するのは異なることです。社会で生きていくためには、公共のマナーを守る必要があり、それは、人格とは関係なく、どんな人でも身に着けることができます。おとなしい性格だとか、攻撃的な性格を変えることは非常に難しいと思います。変えられないのであれば、それを活かす方法を探せばいいのです。攻撃的な性格の人は、例えば、プロレスラーになるとか、自衛隊に入るとか、警備会社に入るとか、自分に合った職業を探せばいいと思います。無理に攻撃的性格を抑え込もうとすれば、ストレスがたまるだけでしょ。
「社会進化論的世界観はいまも米国社会に深く根づいていて、大多数のアメリカ人は、自然(市場)の摂理によって敗者は淘汰される運命にあり、社会が不平等なのは当たり前で、努力しない貧者を救済することは有害だと考えている。」
アメリカは自由の国と言われていますが、残念ながら最近はその自由が行き過ぎているように思います。不平等なのは当たり前、という認識は正しいのですが、そこから一歩進んで、才能のあるなしは天から与えられたものであり、才能のあるものは、才能の無いものに、分け与える必要がある、と考えることが必要だと思います。これは共産主義的考え方なわけで、究極的には共産主義が理想なわけですが、残念ながら人間とは怠惰な生き物なので、競争がないと全力を尽くそうとはしません。ですので、ある程度の不平等は仕方がないけど、なるべくその差をなくすようにする必要はあると思います。
「知能や性格は“運命”のようなもので、努力によっては変われないのだ。」
まったくその通り。まずはこれを認めるところから始めるべきでしょう。
「能力は努力によって無限に成長する。
能力が人種や性別のような先天的なもの(本人の努力によって変更不可能なもの)ならば、能力でひとを評価することも差別になってしまう。これでは組織が成り立たないから、事実かどうかに関係なく、人的資本論というイデオロギーが能力開発の神話を要請するのだ。」
能力は努力によって無限に成長する、というのは、神話にすぎないということっす。ノーベル賞学者の益川敏英さんは英語ができないけどノーベル賞を受賞しました。私は英語ができるけど、ノーベル賞は受賞できません。ならば、益川さんは英語の通訳や翻訳を他の人に頼めばいいわけです。人はそれぞれ得意、不得意があるので、得意な人に得意なことを依頼すればいいわけです。
「ナポレオン・ヒル財団から自己啓発プログラムの独占販売権を獲得して大きな成功を収める。
中略
田中は自分を変えるために自己啓発にのめり込み、「人格改造」を求めるひとたちにそのノウハウを販売するようになった。だが当の本人はあいかわらず人づきあいが大の苦手で、八ヶ岳の別荘でただ一人、賄いの夫婦に世話をしてもらいながら、孤独な執筆活動をつづけている。田中夫妻のあいだに子どもはなく、実質的にビジネスを取り仕切る妻とは一年の大半を離れて暮らしている。もちろん、友人との交流もいっさいない。ここに、「不完全な自分を変えていこう」として能力開発に人生を賭けた一人の男がいる。だが、自己啓発ビジネスでどれほど成功したとしても、自分自身を変えることはできなかったのだ。」
ま、そーゆーことっす。人格なんて変えられっこないってことっす。自分の人格に合った仕事をさがすべきだとゆーことっす。
でわ。
うつぎたかし
0 件のコメント:
コメントを投稿