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2017年10月14日土曜日

東京-山口940km


きょーはどよーび。。。きょーははれかなくもりかな。きょーのしんしなてぃでのさいこー気温は27度でさいてー気温は12度した~。

きのーのぐーぶろぐのひっと数はIPは29閲覧数は181でした~。
きのーのBloggerぶろぐのひっと数が74でした~。
たいじゅー:66.9kg^^; (最大風速:66.0kg)

きょーのとれーにんぐ:
べんちぷれす:シャフト17kg、45LB(20.43kg)X2個、5LB(2.27kg)計62.4kgで3回x3セット
腹筋:35LB(11.35kg)で10回3セット
アームカール:20LB(9.08kg)X2個、5LB(2.27kg)X2個 計22.7kgで8回x3セット

またわりすとれっち:やった^^

麻薬断ち^^:10月13日(金)10:30AMに1包飲んだ(>_<)

やっぱしかなりだめーじがありまんね。シンシナティからアラバマまで481マイル(770㎞)7時間、アラバマからウエストバージニアまで565マイル(900㎞)8時間、ウエストバージニアからシンシナティまで200マイル(320㎞)3時間。これをたった4日で乗り切ったわけです。そりゃーからだがぶっこわれるわな。ちなみに、900㎞ってゆーと、東京から山口までが940kmっすね。きょー、ずつーがなかったのが幸いでしたが、もーだるくてだるくてなんもやるきでーへんわ。。。

さて。。。「戦略は直観に従う」からいんよーしていきます。

「パターン化された類似の状況下でのみ作用する専門的直観は、常に瞬時に起こる。一方、戦略的直観は常にゆっくりと時間をかけて訪れる。とりわけ、斬新なアイデアを必要とする未踏の世界で、戦略的直観はその威力を発揮するのだ。

中略

直観的ひらめきは一瞬で起こるが、その瞬間が到来するまで、何週間も要することがある。焦りは禁物だ。」

戦略的直観は、過去の経験を積み重ねた上で、一件ぜんぜん関係ないものが触媒となってひらめきが発生するわけです。ですので、まったく何もないところからとんでもないアイデアが生まれることはありません。ですので、そのひらめきの瞬間が訪れるまでは、もくもくと努力し続けないといけないわけです。もしかしたらずっとひらめかないのかもしれないし、ふとした瞬間にひらめくのかもしれない。こればっかりは運もものをいうと思います。

「クラウゼヴィッツのクーデュイが何を意味するか、ご理解いただけただろうか。彼は四段階に分けて、クーデュイが生まれる過程を説明している。すなわち、歴史の先例、平常心、ひらめき、そして意志の力だ。」

この本のすべてがここに集約されていると言っていいでしょう。歴史の先例とは、我々は何もないところからはひらめかない、ということです。これまでわかっていることを勉強し、その先にある解を求める努力をするからこそ、ひらめきが発生するわけです。平常心というのは、私には一番?な存在ですが、ひらめきは、平常心の時に発生するようです。東洋の禅を学ぶと、この平常心が得られやすく、ひらめきが出やすいようですが、私にはよくわかりませんでした。ただ、スティーブジョブズが禅に興味があって、アパートには何も物がない状態で住んでいたことがあったのは有名な話ですよね。最後の意志の力は、ひらめいても、実行しなければそのひらめきは無駄になるということっす。こうやって、戦略は直観に従うことで、ナポレオンを連戦連勝へと導いたというわけです。これまでの戦略論では、目標ありきで、その目標を達成するための方法が検討されて、それが実行されていたわけですが、これは、残念ながら「あきらかに」間違いということっす。戦略とは常に変化するもので、状況によって目標は常に変更されるべきものであるということです。

「ナポレオンは、戦場において優勢になることができる地点を求めていたのだ。その場所こそが、決め手となる地点だった。ナポレオンは、最初に目標地点を設定して、そこに向かって軍を進めるというような方法は採らなかったのである。」

ま、そーゆーことっす。常に目標は変化するものってことっす。人生だって同じですよね。常に目標は変化していると思います。

「実際には、私は、自分で自分の行動を決定してはいない。というのは、自分の方針にあわせて状況を変えようとするほど、私は非常識ではなかったからだ。逆に、私は予測される未来の状況にあわせて、自分の方針を返還したのである。」

神^^でもないかぎり、世の中を自分の思うように操れる人はいないでしょう。俺はポケベルに命をかけてるんだ!と言っても、今の世の中誰もポケベルを買う人はいないでしょ。時代の流れを読めっつーの。

「平常心は、歴史の先例とは異なり、単純な学習によって得られるものではない。平常心には日々の修練が求められており、日常のいかなるときも予測不能な事態に備えなければならない。そして、いつひらめきが訪れてもよいように、常に心を平静に保たねばならない。仏陀に始まり「五輪書」に至る東洋の行動哲学は、思考の際、常に平常心を持ち続けるための道を示している。、平常心を修得するうえで最大の弊害となるのは、それがいかなる職業であれ、各人が専門分野に精通していることである。何かに精通すれば、自信過剰に陥りやすくなる。」

ひらめきには平常心が必要と書かれていますが、私は必ずしもそうとは思えません。別に平常心でなくても、ひらめきは起きると思いますね。私にも、ひらめきの瞬間が訪れたことがありましたが、別に普段となんもかわらず普通に会社の机の上で仕事をしていてひらめきました。ただ、「何かに精通すれば、自信過剰に陥りやすくなる」というのはその通りだと思います。できるだけ別の視点から物事を見れるように訓練する必要があると思いますね。

とりあえずきょーはこんだけ。

でわ。

うつぎたかし

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