きょーはどよーび。。。きょーはくもりかな。きょーのしんしなてぃでのさいこー気温は27度でさいてー気温は17度した~。
きのーのぐーぶろぐのひっと数はIPは25閲覧数は73でした~。
きのーのBloggerぶろぐのひっと数が15でした~。
たいじゅー:66.3kg^^; (最大風速:65.5kg)
きょーのとれーにんぐ:
べんちぷれす:シャフト17kg、45LB(20.43kg)X2個、5LB(2.27kg)計62.4kgで3回x3セット
腹筋:35LB(11.35kg)で10回3セット
アームカール:20LB(9.08kg)X2個、5LB(2.27kg)X2個 計22.7kgで8回x3セット
またわりすとれっち:やった^^
麻薬断ち^^:10月6日(金)10:30PMに1包飲んだ(>_<)
きょーはれんきゅーしょにち。^^しかし。。。めっちゃずつーではんぶいじょーねとった。(>_<)なんで????なんできゅーじつにかぎってこんなにずつーになるんじゃ???しかも、きょーのずつーはたちがわるく、おくすりをのんでもぜんぜんきかね。いやあ、まいったなあ、と思っていたのですが、寝疲れて、ごぞごぞおきだして、あたまいたいけどとりあえずあにめでもみるか、と午後2時くらいからあにめみてたら、2時半頃になって突然ずつーがなくなった。。。なんで???う~む、さいきんちょーしがよくなかったとゆーことはありますが、ずつーはほんま、こまったもんす。
さて。。。「ほめると子どもはだめになる(榎本博明著)」をよみました。おおむね内容には同感っす。それではちょっちいんよーしていきます。
「私は一時期、アメリカで子育てをしていたことがあった。公共の場で子供が走り回ったり、泣き声を出したりしないように非常に気を遣わなければならなかった。家で子どもが泣いても、近所の住人から管理人にクレームがつくことがあり、注意されたりもしたので、とにかく子どもを静かにさせるのが大変だった。そうした経験を通して、子どもに対してとても厳しい社会であることを実感した。」
つまり、日米で環境が異なっていること、アメリカではアメとムチの両方を使っていることを日本人が理解せず、アメの部分だけを強調したために今の日本の「ほめて育てる」ブームになっているとゆーわけです。ほめるだけでなく、叱らなければ、子どもは甘やかされて育ってしまうとゆーことっす。いやはやまったく同感。これは、ある意味、私が「人を動かす」に感じている違和感につながってるんすよね。「人を動かす」では、失敗しても非難しない、みたいなことが書かれています。しかし、悪いことを悪いと指摘せずに、どうやってその人が次に同じ過ちを繰り返すのを防ぐことができるのでしょうか?「結果はよくなかったけれども、君はよくやった^^」などとほめても、お互いなんの得にもならないと思います。「人を動かす」で説明が足りないのはこの部分で、本人が過ちを認めて、反省しているとわかった場合は、非難しないとすればいーのだと思います。ただたんに過ちや失敗を指摘しないだけであれば、世の中勘違い人間であふれてまうわ。
「米国において入浴は、プライバシーが強く保たれるべき行為であり、例え親子であっても一緒に入浴することは、非常識な行為と見られ、時には子供に対する性的虐待とみなされる場合がありますので、注意しましょう。」(同総領事館HP、安全の手引き)
これ、私が2005年12月にアメリカに就職して、初めて知りました。^^;文化の違いとゆーのはなかなかやっかいなんすよね。アメリカでは親と子どもの間には大きな壁があるので、ほめてその距離を少し縮める必要があるのかもしれません。
「父性原理が機能する社会では、能力や個性によって個人を区別するのは当然のこととみなされ、能力の乏しい者や成果を上げられない者は、あっさりと切り捨てられる。勉強ができない学生が進級できず、ときに退学させられ、仕事のできない社員が降格になり、ときにクビを切れらるのは、ごく当然のことだ。このような父性原理が機能することで、人々は強く有能な人間へと鍛えられていく。」
ちょっと前の日本は、みんな同じが一番とか言って、競争原理を排除し、運動会も順番をつけないなど、あほなことが行われていました。今はだいぶ改善されたと思いますが、まだまだ残ってると思いますね。おんりーわんを目指せとか言っておきながら、個性を殺してみんな一緒がいいという日本は、ま、狂ってるわ、ほんま。
「先に述べたようにアメリカでは、心理的に切断されている親と子を言語によって橋渡しして厳しさを中和するという意味で、積極的にほめることが推奨されてきたが、根っこのところにある親の権威は失われていない。」
ま、そーゆーことっす。ただたんにほめればいーってもんじゃないってことっす。
「親が子どもと同次元で戯れるようになってしまったら、社会のルールやマナーをいったいだれが教えるのだろうか。なかなか思い通りにならない現実をしぶとく生き抜く力をだれが注入し、困難にめげずに頑張り抜く姿勢の大切さを他のだれが教えるのだろうか。海外のやり方が日本と違うと、「海外ではこんなふうにしているに、日本は遅れている」とか、「日本はおかしい」とか言う人がいるが、文化的な伝統という文脈を無視して、表面だけを見て取り入れるととんでもないことになる。」
いやあ、耳がいたいっす。^^;まあでもそのとーりっすね。文化の違いを考慮せずに海外のやり方をそのまま真似てもうまくいかないでしょう。
「先に述べたように、教育界にも親の間にも「ほめて育てることで自己肯定感を高めることが必要だ」という声が広まったことが大きな原因だった。
中略
自己肯定感は周囲が与えるものではない。壁にぶつかり、頑張っても思うような成果が出ないことに悩み苦しみ、それでも頑張り抜いて自分に力がつき、成長し、壁を乗り越えることによって、あるいは乗り越えることができなくても、力を尽くしたという充実感を通して、徐々に培われていくものなのではないだろうか。」
つまり、周りの人がその人の自己肯定感を高めることはできない、難しい、ってことっすよね。あまりに簡単な課題ばかりやらせたり、親が手伝ったりすれば、自己肯定感ではなく、勘違い野郎になるし、逆に難しするぎる課題で壁を乗り越えられずずに大きな挫折をしてしまうと、自己肯定感のない人間になってしまうし、ま、そのあたりの匙かげんは難しいっすよね。そもそも、子育てなんて簡単じゃーないってことっす。もし簡単なら、こんなに社会で問題になってないっしょ。
「悲観主義者のポジティブ・パワー
私たちには、不安だからこそ必死になるという面がある。不安を克服しようと頑張るのである。ゆえに、適度な不安は成長の糧になる。不安を悪玉視し、不安はない方がよいとみなす傾向があるが、むしろあまり不安にならない人の方が軽率な行動が多かったり、いくら言っても人の言葉が染み込まずに行動が改善されなかったりして、伸びないことが多い。不安を感じる人の方が勉強も仕事もできるということがある。学生たちをみていても、不安を感じる学生の方が必死になって準備勉強をするし、その結果試験でよい成績を取ったり完成度の高い発表をしたりする。」
ポジティブなだけがいいってわけじゃーないってことっす。ねがてぃぶぱわー^^もひじょーにゆーこーだってことっす。話はかわりますが、「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」とゆーえーがで、主人公のれいくろっくが「ぽじてぃぶ^^」と書かれたれこーどを書ける場面があって、めっちゃ笑えました。^^まあ確かに、お客になんかいもなんかいも断られつづければ、こころも折れますわね。^^;こころをぽじてぃぶにしないとやってられない、とゆーことなんでしょう。ぽじてぃぶも時とばーいによるってことっす。
でわ。
うつぎたかし