きのーのぐーぶろぐのひっと数はIPは21閲覧数が287でした~。
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たいじゅー:67.6kg^^; (最大風速:67.2kg)
きのーのとれーにんぐ:おやすみ^^
麻薬断ち^^:10月16日(金)8:00AMに一包飲んでから2日目。
きょーはあさからあくせるわーるど^^をみまくり。こないだから10話くらいまで見ていたのですが、きょー、残りの14話をぜんぶみてまいました~。いやあ、なかなかおもろい^^っす。にこたん^^かわゆいのお~。^^やっぱあにめ^^はさいこーっす!^^
あさはだいぶひえこむよーになりました。とりあえずきょー、でんきもーふ^^をしーつのしたにしきました。これでさぶくてももんだいなし。^^
さて。。。大前さんのほんからいんよーしていきます。
「とくに大学は、「高等職業訓練学校」だと割り切るべきなのに、文科省は中途半端にアカデミックなものにしてしまった。戦前の産学協同が産軍複合体をつくって国をおかしくしたから、戦後は産学協同を断ち、大学をアカデミックにしようとした。その結果、大学は大人たちの“象牙の塔”、学生の“レジャーランド”と化してしまった。」
すべての教科を職業訓練学校として教える必要はないと思いますが、もっと現実社会に合った教育にどんどん変えていく必要があるとは強く思います。それの一番が、英語。シェークスピアを教えるくらいなら、実践で使える英語を教えてくれた方が、よっぽど学生の、その後の人生に役に立つと思いますね。また、工学部なんかでは、研究にしても、もっと産業界のテーマを取り上げた方がいいと思います。実際、工学系の会社では、いろいろな問題に直面しており、そういったものを大学で取り上げて実験してみるとか、ぜひとも実社会で実際に使われる技術の研究テーマをもっと取り上げていただきたいものっす。
「そこで、大学教育も思い切った改革が必要なのだが、そうした観点からすると、その必要性に疑問符がつくのが国立大学である。はっきり言えば、地方の国立大学はまったく必要がないと言っても過言ではない。
中略
たとえば、私の知人の息子が地元の某国立大学(旧帝国大学の一つ)と早稲田大学に合格した。昔なら間違いなく国立大学に進学したはずだが、その息子は早稲田を選んだ。本人が望み、学費や生活費の負担が増えるにもかかわらず、就職のチャンスが広がる、という理由で親も賛同したからである。
中略
地方の国立大学が落ちぶれるのは、ようするに特徴がないからである。どこも東大のミニ版で金太郎飴的だし、教授や准教授の大半は卒業生だから、どんどん風通しが悪くなっている。」
私としては、国立大学は一応まだ存在価値はあると思っています。それは、やはり私のような貧乏学生^^にとっては、国立大学は救いでしたからね。授業料も何回か免除になりましたし、私が通っているときには授業料は年間30万円でした。大学付属の激安寮に住んでいたので、寮費は夕食込みで一か月1万5千円くらいだったので、一か月の生活費は4万円もあればなんとか暮らしていけました。そうすると年間100万円あれば、なんとか大学に通うことが可能だというわけです。私は本当に幸い、奨学金を二つもらうことができたので、一か月に7万5千円ももらっていました。ですので、バイトもそれほどせずに、部活までやることができたというわけです。また、大都市圏以外の田舎町では、国立大学に代わる私立大学があまりないと思います。石川県も、金沢大学と同じくらいのレベルの私立大学はありませんでした。ですので、国立大学がその地方の優秀な学生の受け皿になっているというのは事実でしょう。ただし、もしお金持ちであるのであれば、私も、地方国立大学よりも東京の有名私立大学の方がいいかと思います。また、国立大学がまだランキングの上位にいるというのは、資本主義的に考えるとおかしいようにも思います。私立がもっと工夫して、金にものをいわせて^^すばらしい教育を提供することができるのが、本当の資本主義ではないでしょうか?アメリカのやり方が全てとはいいませんが、やっぱり教育は金だと思います。身も蓋もありませんが、それが現実です。地方国立大学の特徴がないという意見には私も賛成です。独立法人になったのですから、もっと特徴を出していけばいいと思います。秋田国際教養大学のような特徴ある大学がどんどん出てくればいいと思います。
でわ。
うつぎたかし
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