きょーはどよーび。。。きょーははれっす。しんしなてぃのさいてーきおんは‐3度、さいこーきおんは16度でした。
きのーのぐーぶぐのひっとはIPは30閲覧数は34でした~。
きのーのBloggerぶろぐのひっと数が20でした~。
たいじゅー:?kg^^; (最大風速:?kg)
きょーのとれーにんぐ:おやすみ^^
麻薬断ち^^;3月19日(金)20:30AMに1包飲んだ(>_<)
きのー、朝6時からおしごとしたのでめちゃめちゃおつかれで、夜8時半にはねてもーた。そしたらきょーは夜中の2時くらいにおきてもーて、4時半ころまでおきてて、またねました。
8時過ぎにあぱーとをしゅっぱつしたのですが、なんと!くるまがこーとった。。。けさのさいてーきおんは‐3度。しんしなてぃはまだまださぶいのお~。まずはおふぃすでしゅっかのてつづきをして、9時すぎにおふぃすをしゅっぱつ。そっからえっちらおっちらはんつびるまで6時間かけてやってきました。ほてるにはげんちじかんの午後3時15分ころにとーちゃく。そのあとちかくのうおるまーとに行ったら、桜の木が二本あって、さくらがさいてました。^^
さて。。。「「研究者として死ぬ」逃れた先に 自由すぎる同業の夫」を読みました。私は別に女性蔑視のつもりはありませんが、はっきりいって、まったくこの方に同情できませんでした。コロナで子育てが大変になって、自分の研究ができないとな。この国は女性研究者を育てる気がないんか?みたいな感じにこの記事は訴えたいんだと思いますが、はっきしいって、私はぜんぜん同情する気にはなれません。夫の協力が得られないのであれば、離婚すればいーじゃん。この夫を選んだのも、結婚すると決めたのも、あなたでしょ?最初の研究所をなんで辞めたの?辞めた決断したのはあなたでしょ?なんで子供を産んだの?子供を産むと決めたのはあなたでしょ?今の状況を作り出しているのはあなたであって、国とか夫とかはかんけーないじゃん。いいわけはやめろ。自分の責任は自分でとれ。それだけっすよ。私はびんぼー^^な家庭に生まれたので、さいしょから私立大学になんていくつもりはありませんでした。浪人したときも、浪人するよゆうなんてないのはわかっていたので、家を出て、新聞奨学生をしながら八王子の予備校に通いました。大学時代は仕送りなしで、貸与型奨学金をがっぽり^^借りてしのぎました。卒業したときには、貸与型奨学金600万円の負債がありました。病気もあって、最初のA社を3年で辞めましたが、とにかく自分でなんとかするべく、いろいろ迷ったあげく、あめりかの大学に行くことを決めました。できればすぐにでも留学したかったのですが、お金^^がなかったので、一旦日本に帰って、留学費用をためることにしました。3年後にアメリカに戻って約1年勉強しましたが、やはりお金がなくなって、日本に帰ってまた2年働いてお金をためて、あめりかに戻りました。あめりかでMBAをとって、みしがんで就職した時には、私は36歳になっていました。私はMBAでお金を使い果たして、ほとんど無一文からのすたーとでした。給料も、H1Bの最低保証年俸でしかありませんでした。36歳でH1Bの最低保証年俸って、はっきし言って、安いわ。ちなみに、現在同僚で24歳の方がいますが、彼はH1Bの最低年俸なので、36歳の私と同じ給料をもらっています。これって公平なんかのお?^^;13年ほどこの会社に勤めたのちに辞めて日本に戻りましたが、転職先企業を9か月で辞めて、ぷーたろー^^に。その後、古巣にひろってもらって再度あめりかに復帰。^^私がお金持ちの家庭に生まれていたら、こんな苦労はしなくて済んだことでしょう。私に病気がなかったら、最初の会社は辞めていたなかったかもしれません。でも、そんなこと言っても仕方がありません。自分の環境は自分で変えていくかないのですから。結婚相手を選ぶのも、結婚すると決めるのも、子供をつくるのも、自分で決めることができます。そして、自分で決めたことに対しては、自分で責任をとらなければなりません。子供がいるから研究ができない!と寝言を言う暇があったら、どうすれば事態が好転するか、自分で考えろっつーの。研究ができないのは国のせいだ!とか、バカなことを言うのはやめてください。結婚したのも、研究所を辞めたのもあなたの決断なんですから。
でわ。
うつぎたかし
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