きょーはかよーび。。。きょーははれかなくもりかな。しんしなてぃのさいてーきおんは18度さいこーきおんは31度でした~。
きょーのぐーぶろぐのひっとはIPは0覧数0でした~(どーやらカウント停止されたよーです。ぶろぐはみれます。)
きのーのBloggerぶろぐのひっと数118でした~
たいじゅー:?kg^^; (最大風速:65.4kg)
きょーのとれーにんぐ:とれっどみすすぴーど3.2まいる50ふん
ちきゅーめつぼーの日まであと199にち。^^
麻薬断ち^^;6月24日(月) 10:00PMに1包飲んだ(>_<)
またふみん^^;っす。。。こんかいのじさぼけひどすぎるわ。。。きのーは午後10時頃におねんね^^して、午前0時半くらいにおきてしまい、そっからねれず。。。午前6時過ぎによーやくねたのですが、7時15分のめざましでたたきおこされました。。。めっちゃつかれとる。けっきょく3時間くらいしかねとらん。きのーも3時間くらいやったし。幸いあしたはおやすみ^^をとっているので、あしたは爆睡^^やな。あさってからしゅっちょーで、しゅーまつもおしごとなんで、このしゅっちょーでなんとかじさぼけをかいしょーしたいなあ。。。
「アメリカ育ち、マルチリンガルの「グローバル人材」帰国子女が面食らった、あまりにも「日本すぎる」企業文化」を読みました。これ、私が日本から逃げた理由がそのまんま^^書かれている感じです。ちょっちいんよーいたします。
「いざ入社すると、独特の雰囲気の研修にいきなり面食らった。企業理念の斉唱を繰り返し求められただけではなく、「会社に入ってやりたいことを全力で叫ぶ」という研修があったのだ。「研修に集中すること」を理由に携帯電話を取り上げられ、外部とのコンタクトは閉ざされた。研修が終わった後も、企業理念は毎日斉唱しなければならなかった。Mさんは「あれは洗脳だったね」と当時を振り返る。」
バカでしょ?どこですか?この会社は?
「友人が遊びに来るのに合わせて有給を取ろうとした。上司から理由を尋ねられ素直に答えると、「遊びで有給取るの?」と言われた。「この会社はもう辞めよう」とMさんは決意した。入社から1年半がたった頃だった。」
バカでしょ?どこですか?この会社は?
「部長からは慰留された。「もう辞めるんですか? 来たばっかりじゃない」。そう言われても転職の決意は揺るがなかった。辞める前に有給をすべて消化しようとすると、「有給を使うんですか」と驚かれたが、結局は有給をすべて使って辞めることができたという。」
バカでしょ?どこですか?この会社は?
ま、そういうわけで、私は日本から逃げ出しました。^^はっきしいって、大正解。^^そして、私はこのくじびきで大当たり^^をひいて1億円げっと^^しました。日本にいたら、1億円なんてゆめのまたゆめだったでしょう。ほんとうにわたしはらっきー^^でした。
わたしは金沢大学時代はちょーびんぼー^^;で、さいしょに勤めたA社をやめたあと、どうしようかと私は自分の将来像は漠然としていて、自分の進むべき道がまったく見えていませんでした。ところが、あめりか旅行するために語学留学したところから、私の人生はまったく違う方向へと進むことになったわけです。留学するまで、日本から出るなんてことはまったく、みじんも考えていませんでした。そこからは留学してあめりかで就職することが私のすべてになりましたが、あいかーらずびんぼー^^;だったので、りゅーがくするお金を工面するのがちょーたいへんで、結局、29歳で初めてりゅーがくしてあめりかで就職することをきめてから、実際にあめりかで就職するまで7年もかかってしまいました。あめりかで就職したとき私は37歳になっていました。37歳からの私は、ほとんどゼロからのすたーとでした。私はりゅーがくでほぼお金を使いきっており、さらに、私はまだ二つの奨学金を返済していたので、私の資産はまいなす^^;でした。仕事の内容も、ある程度は関係がありましたが、基本的なことは全く異なる分野だったため、仕事も一から学びなおす必要がありました。それから19年の歳月がながれ、こうして今の私のじょーきょーになったわけですが、19年前には、私が56歳で引退するなどとは、全く考えもしませんでした。2017年の転職は、ある意味大失敗だったのですが、その失敗さえも今の成功(?)へとつながっています。日本の最悪の労働環境で働いていたら、私は今頃病気で死んでいたかもしれません。日本の最悪の労働環境が合わない人は、ぜひとも海外へ飛び出していただきたいものです。
でわ。
うつぎたかし
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