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たいじゅー:64.8kg^^; (最大風速:64.1kg)
きのーのとれーにんぐ:
べんちぷれす:シャフト17kg、45LB(20.43kg)X2個、5LB(2.27kg)計62.4kgで3回x2セット、66.49kgで2回x1セット
腹筋:35LB(11.35kg)で10回3セット
アームカール:20LB(9.08kg)X2個、10LB(4.54kg)X2個 計27.24kgで8回8回8回
麻薬断ち^^:1月29日(金)6:00AMに一包飲んでから2日目
きょーもめっちゃあったか^^でした。はんそではんずぼんでらんにんぐおっけー。^^ほんま、初夏のきこうっす。らんにんぐしたらあせをかいてしまい、そのおかげ(?)か、らんにんぐ後のたいじゅーは64.1kgまでげんしょーしました。やっぱしあせをかくとたいじゅーがめっちゃへりまんね。
きょーもいちんちぐーたらやったなあ。。。なんとゆーか、なにしていーかわからんってかんじ。うーむ、ちょっとまずいけーこーっすね。とにかくできるだけほんをよむよーにしよーと思います。やることなかったらほんをよむ!これやね!^^
さて。。。ねっとのきじからちょっちいんよーいたします。
「なぜ、青学大は強いのか。原監督の指導方針が徹底しているのが理由だろう。口癖は「自分で考えなさい」だ。「指導者から言われた練習をしているだけでは絶対に強くなれませんよ」。原点は約30年前、広島の名門・世羅高時代にさかのぼる。「今では水分補給の重要性が知られていますが、私の高校時代は『水を飲むな』という指導が当たり前でした。私はおかしいと思っていた
青学大OBで04年に母校に原監督を招へいした中心人物の瀬戸昇さん(47)=中国放送勤務=は、世羅高で原監督の2年後輩。「夏、クロスカントリーの練習で野山に入ると、キャプテンだった原さんは率先して小川の水を飲んでいた」と明かす。「川の水を飲んだ方が体にいい、と考えたからです」。原監督は平然と振り返る。
いわゆる“オレ流”は指導者になった現在もブレていないが、柔軟性も併せ持つ。「学生が練習メニューなどについて『僕はこう考えます』と言ってきたら、私と正反対の意見でも、まずは思うようにやらせます。それを踏まえて最善の策を考えればいい。その方が学生も納得します」。昨年度まで練習に遅刻した選手には「丸刈り」のペナルティーがあった。原監督は前時代的な“体育会特有”の罰則には賛成しないが、選手同士が決めたルールを尊重する。今年度、4年生を中心に話し合った結果「ミスをしたら丸刈りの罰は意味がないのでは。丸刈りにすればいい、という考え方になってしまう」という結論に達し、撤廃した。原監督の「指導しない指導」で、大人だったチームは本物の大人になった。」
これは、箱根駅伝を連覇した青山学院大学の原監督のことを書いた記事です。いろいろ思うものがありまんね。まず、「水をのむな」というのは、私の中学時代もそのまんま^^;でした。水を飲んだらいけないというのが、あほらしいけれども通説になっていました。高校時代はどうだったか、あんましおぼえてないですが、おんなじだったような気がします。大学も、練習中はだめだったような気がするのですが、どうだったけっかなあ?とにかく水道が近くにないんで、たとえば、乱打15分3回やったら休憩を10分とかとって、学校の給水器に水を飲みにいっていたように思います。いまから思えば、水筒をもってくればよかったとおもーんだけどね。でも、誰ももってきてなかったよーに思います。コート内では飲食禁止だったかも?ただ、試合の時には、ちゃんとポカリとかをおっきなたんくに作ってもっていっていました。コートチェンジの時にはいつも給水してました。試合でやってんのに、なんで練習でだめなのか、ふしぎやのお~。ぜひともバカバカしい慣習をやめて、科学的トレーニング方法に基づいてトレーニングしていただきたいものっす。原監督が青学をここまで育てたのは間違いないと思いますが、それでも10年かかりました。あっとゆーまにはやっぱり強くすることはできないと思います。また、原監督だけの力だけでは、この結果は出せなかったと思います。先日、ゆーちゅーぶで、PL学園のOBの何名かがテレビに出演して当時の話をしていたのを見たのですが、PL学園の強さの秘密の一つは、スカウトだったよーですね。あっちこっちにPL教団の人がいて、その地域でうまい子がいると、PL学園のスカウト専門の人に連絡して、その子をPLに入学させるようにしていたそうです。PL学園といえば中村監督が有名で、彼がPL学園を強くしたということに異論はありませんが、彼の力だけではなかったと思います。こういったスカウト活動によって、うまい選手がたくさん集まったことも、非常に大きな要因だったのでしょう。その証拠(?)に、中村監督が名古屋商科大学に移籍した後は、あんまり中村監督のことを聞かないですもんね。いくら名監督でも、名選手がこなければ、やっぱり勝てないと思います。ここでも、才能が非常に重要だということが示されていると思います。才能があれば、中村監督はその才能を開花させることができるのかもしれませんが、才能のない人を中村監督が才能をその人に植え付けることはできないのです。その人が持っている才能ぎりぎりを引き出すことはできるかもしれませんが、それをしたとしても、もともと才能を持っていた桑田や清原や松井のような選手に、才能のない選手を彼ら以上の選手に育て上げることは無理だということです。青学の原監督の場合、とにかく箱根駅伝に出ることろまでが非常につらいところだったと思います。彼自身言っていたことですが、実績のなかった青学には、やっぱり有力選手は来なかったそうですからね。しかし、一旦箱根に出て、ある程度できるということが示せれば、青学ほど強烈なブランドはないですからね。箱根に出られる可能性があって、青山学院というブランドをもってすれば、勧誘は非常に容易になったことでしょう。駿河大学の駅伝部の監督は徳本さんのゆーちゅーぶを見ましたが、彼は箱根駅伝にて、法政大学のエースで、華々しい実績があるようですが、駿河大学を箱根駅伝に出場させるのは、相当難しいと思いますね。青学と駿河では、ブランド力が違いすぎると思います。駿河大学が、いかに才能ある選手をスカウトできるかがカギと言っていいのではないかと思います。根性だけでは絶対に勝てません。水をのまなければ強くなるなどと、頭の悪いことを言っていたら、勝てませんよ。勝つための条件が何かということをいろんなスポーツの分野から学んで、それを実行するのみです。強いスカウト、強い監督、強い選手、科学的トレーニング、これでしょ。
でわ。
うつぎたかし